次男以下の「部屋住み」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 01:38 UTC 版)
次男以下の就職は困難であるため、分家・独立するほどの財力や地位を持っていない大多数の家では、実家に居候という形で次男以下を住まわした。 長男が亡くなった場合に血統を絶やさないための万が一の予備としての役割であったため、妻子を持つことは基本的に禁じられ、不遇な生活を強いられたといわれる(飼殺し、冷や飯食い)。特に役職や仕事が貰えないため、長男よりも学問や武芸・茶道などの芸道において達者になり、師範代として職を得た者もいたという。兄が死去することで次男以下が家督を継いだ例は数知れないが、中でも井伊直弼の15年間にも及ぶ部屋住みはよく知られている。 武士の子として生まれた小説家の岡本綺堂は、自身の小説中において「部屋住み」を以下のように述べている。 旗本に限らず、御家人に限らず、江戸の侍の次三男などというものは概して無役の閑人であった。彼らの多くは兄の屋敷に厄介になって、大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見ればすこぶる呑気らしい、また一面から見れば、頗る悲惨な境遇に置かれていた —『半七捕物帳』
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