横浜三越の開店まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 17:26 UTC 版)
昭和20年代までの横浜における商業の中心は関内や伊勢佐木町で、1928年(昭和3年)に現在地に設けられた横浜駅周辺は商業地として発展しておらず、特に国道1号に面した表側と言える東口に対し、裏口に当たる西口は荒涼とした砂利置き場の光景が広がっていた。西口の土地を取得した相模鉄道は、ターミナルビルの計画を進めるため1953年に「相模鉄道企画室」を開設。キーテナントとして当初は三越に提案を持ち掛けたが、断られてしまう。その後相鉄と高島屋との話がまとまり、1956年4月に高島屋ストア開店。1959年10月1日には百貨店としての横浜高島屋が開店し、高度経済成長と歩調を合わせるように横浜西口は商業集積地として急激な発展を遂げる。
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