構造および堂数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 19:45 UTC 版)
朝堂には、官司ごとに「朝座」と呼ばれる席があり、着座の堂が決まっていた。弘仁9年(818年)の堂名の改称以前は、式部省の官人が着座する式部殿、大蔵省の場合は大蔵殿のように、着座の官司名で呼称された。 堂の数は後期難波宮と長岡宮が8堂、他は概ね12堂であったが、大化の改新のときの難波長柄豊碕宮(前期難波宮)では、発掘調査の結果、少なくとも14堂の堂が並んでいたことが判明した。 朝堂院全体の配置では、藤原宮、難波宮、長岡宮、平安宮はいずれも北より大極殿、朝堂、朝集殿の順に並ぶ、ほぼ同一の形態であったが、平城宮のみは異なっていた(詳細は「#平城宮(前半)の朝堂」の節を参照のこと)。
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