森田あゆみとは? わかりやすく解説

森田あゆみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/25 04:12 UTC 版)

森田あゆみ
Ayumi Morita
森田あゆみ
基本情報
国籍 日本
出身地 同・群馬県太田市
生年月日 (1990-03-11) 1990年3月11日(35歳)
身長 164cm
体重 54kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2005年
引退年 2023年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 370勝309敗
シングルス 295勝241敗
ダブルス 75勝68敗
生涯獲得賞金 1,670,655 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2011・13)
全仏 2回戦(2011・12)
ウィンブルドン 2回戦(2010・12)
全米 2回戦(2012)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(2012)
全仏 2回戦(2013)
ウィンブルドン 3回戦(2011)
全米 2回戦(2010・11)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 40位(2011年10月3日)
ダブルス 65位(2009年2月9日)
獲得メダル
女子 テニス
アジア大会
2010 広州 団体

森田 あゆみ(もりた あゆみ、1990年3月11日 - )は、群馬県太田市出身の元女子プロテニス選手。安藤証券所属。WTAツアーでシングルス・ダブルスとも優勝はなかったが、ダブルスで2度の準優勝がある。自己最高ランキングはシングルス40位、ダブルス65位。身長164cm、体重54kg。右利き、フォアハンド・バックハンド共に両手打ち[1]

来歴

小学生の頃にテニスを始め、2001年に開かれた「全日本ジュニアテニス選手権」12歳以下の部で優勝。2004年には「全日本ジュニアテニス選手権」18歳以下の部で優勝し、日本のトップジュニアの仲間入りをする。その後2004年全日本テニス選手権では史上最年少の14歳(中学3年生)でベスト8に入り、地元では「天才テニス少女」と言われた。

2005年4月12日、日本テニス協会は彼女のプロ登録を認めることを決定。「15歳1か月」でのプロ転向は男女を通して当時日本史上最年少のプロ選手であった(2010年4月辻佳奈美によってその記録は更新された)。その2ヶ月後、全仏オープンの女子ジュニア部門でいきなり準決勝へ進出した。ウィンブルドン終了後、日本人スポーツ選手として初めてスポーツ用品メーカーのアディダス社と「グローバル選手契約」を締結する。10月第2週に大阪で開かれた「世界スーパージュニアテニス選手権大会」ではシングルス準優勝、ダブルス優勝を記録する[2]11月19日全日本テニス選手権の女子シングルスで米村知子を 4-6, 6-4, 6-3 の逆転で破り、「15歳8ヶ月8日」で初優勝[3]雉子牟田明子沢松奈生子に続く、大会3番目の年少優勝記録をうちたてた[4]

2006年全豪オープンの女子ジュニア部門では、準決勝でキャロライン・ウォズニアッキに 6-7, 3-6 で敗れた。同年の全米オープンで女子シングルスの予選会に初挑戦を果たす(1回戦敗退)。その後、世界スーパージュニアテニス選手権大会では2年連続の準優勝で止まり、全日本テニス選手権では準々決勝で敗退した。

2007年から、森田は女子テニス国別対抗戦・フェドカップの日本代表入りを果たした。6月のウィンブルドンで、初めて4大大会女子シングルスの予選会を通過する[5]。初めての本戦では、1回戦でマラ・サンタンジェロに 1-6, 6-3, 3-6 で敗れた[6]

2008年全仏オープンで、森田は初めて本戦直接出場(ストレートイン)を決めたが、1回戦で第12シードのアグネシュ・サバイに 1-6, 6-4, 4-6 のスコアで競り負けた。8月の北京五輪にも初出場を果たし、シングルス・ダブルスとも2回戦に進出する。シングルス2回戦では地元中国代表の李娜に 2-6, 5-7 で敗れ、杉山愛と組んだダブルスでは2回戦でビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹組に当たってしまった。10月のジャパン・オープンでは、中村藍子と組んでダブルス準優勝者になる。2009年度の4大大会女子シングルスではすべて本戦に直接出場したが、いずれも初戦敗退であった。

2010年ウィンブルドンで、シングルスはタマリネ・タナスガーンに 7-5, 6-1で勝利し、4大大会9回目の出場で念願の初勝利となった。張凱貞と組んだダブルスもクルム伊達公子、タナスガーン組に6-3, 7-6で勝利した。10月の楽天ジャパン・オープンでは決勝でジル・クレイバスを 6-3, 7-5 で破り優勝した(ジャパン・オープンは2009年からITFサーキット大会に降格しているのでWTAツアー初優勝ではない)[7]

2011年全豪オープン女子シングルス1回戦で、第27シードのアレクサンドラ・ドゥルゲルを、6-4, 6-4で破り全豪初勝利を挙げた[8]。続く2回戦では17歳キャロリン・ガルシアを6-4, 6-4のストレートで破り、3回戦に進出した[9]。3回戦では彭帥と対戦し、1-6, 6-3, 3-6 で敗れた[10]。2月のドバイ・テニス選手権では予選から勝ち上がり、1回戦でペトラ・クビトバに 7-6(2), 7-6(3) で勝利して3回戦まで進出した[11]。2011年10月3日の世界ランキングで40位の自己最高を記録している。

2014年頃から故障に悩まされるようになり、ツアー復帰と離脱を繰り返すようになった[12]。2015年7月には右手首の手術を受けている[12]。2017年より所属がキヤノンから安藤証券に変更になった[13]

2023年8月4日に現役引退を発表し、コーチになることを表明した[14][15][16]。9月9日には安藤証券オープンが開かれた有明コロシアムで引退セレモニーが行われた[17]。2024年、現役20年を共にした丸山淳一コーチと選手育成の会社を立ち上げ、ジュニアアカデミーを創設するなど後進の指導に当たっている[18]

WTAツアー決勝進出結果

ダブルス: 2回 (0勝2敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2007年10月14日 バンコク ハード 波形純理 孫甜甜
晏紫
棄権
準優勝 2. 2008年10月4日 東京 ハード 中村藍子 ジル・クレイバス
マリナ・エラコビッチ
6-4, 5-7 [6-10]

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 通算成績
全豪オープン A LQ LQ 1R 1R 3R 1R 3R 2R A A LQ A 5–6
全仏オープン A LQ 1R 1R 1R 2R 2R 1R LQ A A A A 2–6
ウィンブルドン A 1R LQ 1R 2R 1R 2R 1R LQ LQ A A A 2–6
全米オープン LQ LQ LQ 1R 1R 1R 2R A A A A A A 1–4

関連書籍

  • 『STEP―森田あゆみ、トップへの階段』神仁司著、出版芸術社、2012年

出典

  1. ^ 「もうグランドスラムには戻れないなって」錦織圭と同学年の〈消えた天才〉森田あゆみの長い苦闘…それでもテニス愛を貫けた「真の才能」とは”. Number Web (2025年3月21日). 2025年4月26日閲覧。
  2. ^ かつての天才少女・森田あゆみ。幾度の手術と失意も「テニスが好き」”. web Sportiva. 集英社 (2019年11月16日). 2025年8月25日閲覧。
  3. ^ ニッケ全日本テニス選手権80th 女子シングルス本戦ドロー”. 全日本テニス選手権. 2025年8月25日閲覧。
  4. ^ 15歳 森田あゆみが初優勝”. テニス365 (2005年11月19日). 2025年8月25日閲覧。
  5. ^ 森田あゆみが予選突破 本選進出へ◇ウィンブルドン予選”. テニス365 (2007年6月22日). 2025年8月25日閲覧。
  6. ^ ウィンブルドン3日目:女子シングルス結果”. テニス365 (2007年6月28日). 2025年8月25日閲覧。
  7. ^ 森田がクレイバス下し初優勝◇楽天ジャパンオープン”. テニス365 (2010年10月10日). 2025年8月25日閲覧。
  8. ^ 森田あゆみインタビュー「納得できるテニスができた」=全豪テニス初勝利”. スポーツナビ (2011年1月19日). 2025年8月25日閲覧。
  9. ^ 森田あゆみインタビュー「1試合1試合自分のベストを」=全豪テニス3回戦へ意気込み”. スポーツナビ (2011年1月21日). 2025年8月25日閲覧。
  10. ^ 全豪テニス、森田は3回戦敗退/日本勢、単複とも姿消す”. 四国新聞. 四国新聞社 (2011年1月22日). 2025年8月25日閲覧。
  11. ^ 森田に世界の壁、ウォズニアッキに完敗/バークレイズ・ドバイ・テニス”. Tennis.jp (2011年2月18日). 2025年8月25日閲覧。
  12. ^ a b テニス森田あゆみ、3年ぶり全豪OP 予選から出場”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2017年1月10日). 2025年8月25日閲覧。
  13. ^ プロテニスプレーヤー森田あゆみ選手、コーチ丸山淳一氏との嘱託雇用契約締結について”. 安藤証券 (2017年1月4日). 2025年8月25日閲覧。
  14. ^ 元40位の森田あゆみ 現役引退”. テニス365 (2023年8月4日). 2025年8月25日閲覧。
  15. ^ 元世界40位、日本女子テニスを牽引した森田あゆみが引退「何も悔いが残らないところまでやりきった」<SMASH> THE DIGEST 2023年8月4日
  16. ^ 森田あゆみが現役引退を発表「凄く恵まれた幸せな選手生活だったと心から思っています」 Tennis Magazine ONLINE 2023年8月5日
  17. ^ 引退後はコーチに きっかけは下部大会 テニス森田あゆみさん 毎日新聞 2023年9月10日
  18. ^ 「もうグランドスラムには戻れないなって」錦織圭と同学年の〈消えた天才〉森田あゆみの長い苦闘…それでもテニス愛を貫けた「真の才能」とは”. Number Web. 文藝春秋 (2025年3月21日). 2025年8月25日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「森田あゆみ」の関連用語

森田あゆみのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



森田あゆみのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの森田あゆみ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS