桜井三男 (ジャーナリスト)とは? わかりやすく解説

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桜井三男 (ジャーナリスト)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/21 07:28 UTC 版)

櫻井 三男(さくらい みつお、1926年大正15年)4月17日 - 2006年(平成18年)4月)は、日本ジャーナリスト実業家

上毛新聞元専務・論説委員長[1][2]。上毛新聞TRサービス元取締役[2]

長男は元総務事務次官櫻井俊。孫はのメンバーの櫻井翔

経歴

群馬県出身[1]。父は太田市出身の教師[3]1948年昭和23年)旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。1949年(昭和24年)名古屋大学法経学部を中退[2][3]1950年(昭和25年)上毛新聞社に入社。入社後は報道部長、企画室長、高崎支社編集局長を経て、1974年(昭和49年)同社取締役に就任[2]1977年(昭和52年)同社常務を経て、1989年(平成元年)同社専務・論説委員長に就任[2][4]

2006年(平成18年)に80歳で死去[5]

人物

趣味は音楽鑑賞[2]

家族・親族

兄は櫻井次男。1918年12月9日、群馬県生まれ。旧制第一高等学校を経て、1942年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等文官試験に合格し商工省(現経済産業省)に入省すると同時に、海軍短期現役制度海軍経理学校に入校。翌年に主計中尉となり海防隊の主計長として勤務、その翌年に大尉と役職が上がり、輸送船を護衛する海防艦を何隻か乗り換え、終戦の年の昭和20年3月29日、ベトナム東岸沖で乗艦が米空軍機に撃沈され戦死した[6][7]

脚注

  1. ^ a b 『日本著者名人名典拠錄』日外アソシエーツ、1989年、1899頁。 
  2. ^ a b c d e f 『産経日本紳士録 上 第17版』産経新聞年鑑局、1982年、さ 119頁。 
  3. ^ a b 嵐・櫻井翔のおばあちゃんが「エリート一家のルーツ」を明かした(週刊現代) @gendai_biz”. 現代ビジネス (2018年3月8日). 2023年9月18日閲覧。
  4. ^ 『現代日本人名錄 90』日外アソシエーツ、1990年、294頁。 
  5. ^ 『Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2021年12月14日号』CCCメディアハウス、2021年12月7日、20頁。 
  6. ^ 若者はこうして戦地へ送られた──櫻井翔が日本近代史家・秦郁彦に聞く”. Newsweek日本版 (2021年12月21日). 2023年11月30日閲覧。
  7. ^ 櫻井翔さんがたどった大伯父の足跡 <海軍主計少佐 桜井次男 昭和20年3月29日 東支那海にて戦死>”. 西日本新聞me. 2024年8月21日閲覧。

参考文献

  • 産経新聞年鑑局編『産経日本紳士録 上 第17版』、産経新聞年鑑局、1982年。



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