桑名藩の相次ぐ災害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:04 UTC 版)
伊勢桑名藩主・松平定重の時代は50年の長きに及んだが、度重なる水害や火災に見舞われた。特に天和元年(1681年)の洪水による被害は激しく、定重は家臣の減給、176人の家臣のリストラを断行した。もともと元禄時代に入ると領主の経済力が落ちてきて支配体制が揺らぎ、富裕商人が台頭しだす傾向が全国的に見えてきたが、元禄14年(1701年)には桑名城下で大火災が起こり、1500軒が焼失し、天守閣も類焼した。このため藩財政は極度に悪化し、桑名藩では幕府より1万両を借用して復興に当てた。宝永4年(1707年)には長雨で稲作が不作となり、窮乏した農民は郡代に訴え、さらに桑名城の北大手門に押しかけるなどしたため、藩でも武士の給米を大幅に減額してその場をしのぐしかなかった。
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