桂元延とは? わかりやすく解説

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桂元延

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/17 17:50 UTC 版)

 
桂 元延
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 通称:左衛門尉
主君 毛利元就隆元輝元
氏族 大江姓毛利氏庶流桂氏
父母 父:桂元澄[1]、母:福原広俊の娘[1]
兄弟 元延元貞[1]元親[1]景信[1]、相琳妙悟(冷泉元豊室)[1][2]広繁[1]元盛[1]元時[1]
正室:志道大蔵少輔の娘[1]
元重[1]、女(桂元将継室)
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桂 元延(かつら もとのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏の家臣。父は桂元澄[1]

生涯

生年は不明だが、毛利氏庶流の重臣である桂元澄の長男として生まれる[1]

永禄12年(1569年7月5日に父・元澄が死去し[1]家督を相続する。

元亀3年(1572年)9月、毛利氏と敵対して劣勢になった備前国浦上宗景宇喜多直家から講和調停の懇願を受けた室町幕府将軍足利義昭は、使者を毛利氏のもとに派遣して浦上氏宇喜多氏と講和することを要請した[3]。これに対し、吉川元春小早川隆景は、福原貞俊口羽通良熊谷信直、元延と対応を協議して、毛利氏に有利な条件での和睦を図り、浦上氏と宇喜多氏が条件を飲まない場合は直ちに進攻する和戦両様の方針に決定した[3][4]。同年10月上旬に浦上宗景と宇喜多直家は条件を受諾し、講和が成立した[5]

没年は不詳。嫡男の桂元重が家督を相続した[1]

系譜

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 161.
  2. ^ a b 長州藩士桂家文書 1979, p. 49.
  3. ^ a b 毛利輝元卿伝 1982, p. 21.
  4. ^ 『毛利家文書』第771号、元亀3年(1572年)比定9月12日付け、(小早川)隆景・(熊谷)信直・福原左近允(貞俊)殿・桂左衛門尉(元延)殿・口羽下野守(通良)殿・(吉川)元春宛て、(毛利)少輔太郎輝元書状。
  5. ^ 毛利輝元卿伝 1982, p. 22.
  6. ^ 長州藩士桂家文書 1979, p. 58.

参考文献




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