桂元次
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 天文7年(1538年) |
死没 | 永禄12年5月21日[1](1569年6月5日) |
別名 | 通称:少輔七郎 |
戒名 | 玉山元宝[1] |
主君 | 毛利隆元→輝元 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流桂氏 |
父母 | 父:桂就延[1] |
子 | 真誉長清(桂元盛室) 養子:元盛(桂元澄の六男) |
桂 元次(かつら もとつぐ)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。父は桂就延。婿養子に桂元盛。通称は少輔七郎。
生涯
天文7年(1538年)、毛利氏庶流の重臣である桂就延の嫡男として生まれる[1]。
弘治2年(1556年)4月14日、父・就延が死去したため、家督を相続する[1]。
永禄8年(1565年)9月27日、八幡宮社頭の上葺について大施主を務めた[2]。なお、この時の棟札には「大江元次」の名前で記されており、武運長久、恵命長遠、子孫繁昌、家門安全を願っている[2]。
永禄12年(1569年)5月21日、在番していた豊前香春岳城において病死[1]。享年32[1]。元次に男子はいなかったため、桂元澄の六男で元次の長女・真誉長清と婚姻した桂元盛が婿養子として家督を相続した[1]。
文化15年(1818年)、元次の250回忌の法要が執り行われる[3]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h 長州藩士桂家文書 1979, p. 55.
- ^ a b 長州藩士桂家文書 1979, p. 66.
- ^ 山口県文書館 1992, p. 53.
参考文献
- 北原進『長州藩士桂家文書』立正大学経済研究所〈研究叢書9〉、1979年3月。全国書誌番号:79031161。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 山口県文書館 編『山口県内所在史料目録 第19集』山口県文書館〈山口県文書館地方調査員調査報告〉、1992年3月。全国書誌番号:
92059786。
国立国会図書館デジタルコレクション
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