桂元貞
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 天正3年3月13日(1575年4月23日) |
戒名 | 寿胤宗舜[1]、または、孝胤宗舜[2] |
官位 | 左近大夫[1]、大和守[1] |
主君 | 毛利元就→吉川元春 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流桂氏 |
父母 | 父:桂元澄[3]、母:福原広俊の娘[3] |
兄弟 | 元延[3]、元貞、元親[3]、景信[3]、相琳妙悟(冷泉元豊室)[1][3]、広繁[3]、元盛[3]、元時[3] |
妻 | 正室:吉川経世の娘[1] |
子 | 経貞[2]、春房[2]、春忠[2]、春貞[2] |
桂 元貞(かつら もとさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏、吉川氏の家臣。父は桂元澄[3]。子は桂経貞[2]、桂春房[2]、桂春忠[2]、桂春貞[2]。官途名は左近大夫[1][3]、大和守[1]。
生涯
毛利氏庶流の重臣である桂元澄の次男として生まれる[1][3]。
天文17年(1548年)3月、吉川氏を相続する吉川元春に仕えることとなる[2]。
永禄12年(1569年)の立花城の戦いに従軍[4]。同年5月8日に松尾において中間衆の三郎二郎が敵兵1人を鉄砲で討ち取ったことを確認し、閏5月28日付けの「筑前国立花城合戦敵射伏人数注文」において証言している[4]。
天正3年(1575年)3月13日に死去[2]。嫡男の桂経貞が後を継いだ[2]。
系譜
脚注
注釈
出典
参考文献
- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第9-1 吉川家文書之一』東京帝国大学、1925年12月。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 防長新聞社山口支社編、三坂圭治監修『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。
OCLC 703821998。全国書誌番号:
73004060。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 北原進『長州藩士桂家文書』立正大学経済研究所〈研究叢書9〉、1979年3月。全国書誌番号:
79031161。
国立国会図書館デジタルコレクション
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