桂経貞
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 慶長17年7月8日(1612年8月4日)[1] |
戒名 | 久巌桂昌[1] |
官位 | 左近大夫[1] |
主君 | 吉川元春→元長→広家 |
藩 | 周防岩国領 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流桂氏 |
父母 | 父:桂元貞[1]、母:吉川経世の娘[1] |
兄弟 | 経貞、春房[1]、春忠[1]、春貞[1] |
子 | 家貞[1] |
桂 経貞(かつら つねさだ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。吉川氏の家臣。父は桂元貞[1]。子は桂家貞[1]。官途名は左近大夫[1]。
生涯
天正3年(1575年)3月13日に父の元貞が死去し、その後を継ぐ[1]。
天正14年(1586年)11月15日に吉川元春が豊前小倉城で、天正15年(1587年)6月5日に吉川元長が日向国都於郡の陣中で相次いで死去したため、吉川経言(後の吉川広家)が家督を相続すると、同年8月24日に吉川氏の重臣15名が経言に対し忠誠を誓う連署起請文を作成して山県就慶と宇都宮春依に提出しており、経貞は14番目に「桂左近大夫經貞」と署名している[注釈 1][2]。
慶長17年(1612年)7月8日に死去[1]。嫡男の桂家貞が後を継いだ[1]。
系譜
脚注
注釈
出典
参考文献
- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第9-1 吉川家文書之一』東京帝国大学、1925年12月。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 北原進『長州藩士桂家文書』立正大学経済研究所〈研究叢書9〉、1979年3月。全国書誌番号:79031161。
国立国会図書館デジタルコレクション
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