柳家金三とは? わかりやすく解説

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柳家金三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 14:08 UTC 版)

柳家 金三(やなぎや きんざ)は、落語家名跡。過去に三遊亭、扇遊亭等を入れると5人確認されている。


二代目 柳家 やなぎや 金三 きんざ

古今亭桃輔時代(1956年)
本名 佐藤 さとう 武一 たけいち
生年月日 (1926-01-10) 1926年1月10日(99歳)
出身地 日本東京都千代田区
師匠 五代目古今亭今輔
名跡 1. 古今亭啓輔
(1952年 - 1954年)
2. 古今亭桃輔
(1954年 - 1967年)
3. 二代目柳家金三
(1967年 - )
出囃子 東京行進曲(昔恋しいギンザの柳)
活動期間 1952年 - 1990年頃
活動内容 新作落語
所属 日本芸術協会→落語芸術協会
備考
落語芸術協会会友(事実上の引退)

柳家 金三(やなぎや きんざ、1926年1月10日 - )は、東京都千代田区神田出身の落語家司会者落語芸術協会会友。出囃子は『東京行進曲(昔恋しいギンザの柳) 』。血液型はB型。本名:佐藤 武一

経歴

舞台芸術アカデミー卒業。

1952年4月、五代目古今亭今輔門下で「啓輔」として前座となる。

1954年4月、「桃輔」で二ツ目昇進。

1967年10月、真打昇進に伴い「二代目柳家金三」を襲名。柳家金語楼の前名を初代としている。

少なくとも1990年代初頭から現在まで高座には上がっていない[注釈 1]。その後も講演活動については、少なくとも2011年ころまでは行っていたとされる[1][2][注釈 2]

2024年8月に兄弟子でもあった桂米丸が死去したことで(名目上)東西の落語家としては最高齢者となった。ただし、落語芸術協会の公式サイトにはプロフィールは掲載されてはいるが、2020年頃の香盤の整理で「会友」へ移行しており、事実上の引退状態とみられる[3]

昔昔亭桃太郎は高座で今から40年前[いつ?]には寄席を干されていたと語っている[要出典]

芸風

新作派で「ラーメン屋」などのほか、自作演目の「運転練習中」「寝台車」「幽霊タクシー」などを演じていた。

著書

脚注

注釈

  1. ^ 桂文治は「金三師匠は、僕が前座になって、20日間寄席に出ただけでずっと出てません。」とXにポストしている。[1]
  2. ^ 2006年に死去した三遊亭圓右の一周忌に参列していた [2]

出典

  1. ^ 女性部会報第35号(令和3年4月)” (pdf). 成田法人会. 成田法人会. p. 25 (2021年4月). 2022年1月11日閲覧。
  2. ^ 平成23年度 事業報告書《総括》” (pdf). 木更津法人会. p. 8. 2022年1月11日閲覧。
  3. ^ ただし公式サイトの経歴はここで出典とした文献と比べて明らかに不審な点があるためここでは代数を除いて採っていない(ノート参照)。

出典

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