柳家小せん (5代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/31 16:45 UTC 版)
| 五代目 
          Yanagiya Kosen the 5th  | 
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五代目柳家小せん定紋「中陰花菱」  | 
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| 本名 | 
      
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|---|---|
| 生年月日 | 1974年6月28日(51歳) | 
| 出身地 | |
| 師匠 | 鈴々舎馬桜 十代目鈴々舎馬風  | 
    
| 弟子 | 柳家あお馬 柳家わか馬 柳家小じか  | 
    
| 名跡 | 1. 鈴々舎わか馬 (1997年 - 2010年) 2. 五代目柳家小せん (2010年 - )  | 
    
| 出囃子 | せり | 
| 活動期間 | 1997年 - | 
| 活動内容 | 落語家 | 
| 所属 | 落語協会 | 
| 受賞歴 | |
| 2002年 北とぴあ若手落語家競演会大賞 2010年 第一回落語協会大喜利王選手権優勝 2010年 初代落語協会大喜利王  | 
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五代目 柳家 小せん(やなぎや こせん、1974年6月28日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身の落語家。本名∶河野 重信。出囃子は『せり』。
経歴
明治学院大学国際学部国際学科卒業。
1997年4月に鈴々舎馬桜に入門、 わか馬を名乗る。 三遊亭歌ご、五街道のぼり、桂南坊と共に楽屋入り。
2000年6月、二ツ目昇進。2002年に第13回北とぴあ若手落語家競演会 北とぴあ大賞受賞。2006年1月に十代目鈴々舎馬風門下に移籍。
2010年9月に入船亭扇里、林家きく麿、三遊亭鬼丸、三代目蜃気楼龍玉と共に真打昇進し、「五代目柳家小せん」を襲名[1]。
芸歴
- 1997年 
    
- 2月 - 鈴々舎馬桜に入門。
 - 4月 - 前座となる、前座名「わか馬」。
 
 - 2000年6月 - 二ツ目昇進。
 - 2006年1月 - 十代目鈴々舎馬風門下に移籍。
 - 2010年9月 - 真打昇進、「五代目柳家小せん」を襲名。
 
逸話
馬桜に弟子入りし楽屋入りする当日、馬桜は師匠の馬風より赤飯を炊いた旨の連絡を受けていたが、それを忘れてしまいそのまま寄席に行ってしまった。これに馬風は激怒し馬桜を破門にしてしまった。小せん(わか馬)は楽屋入り当日に師匠が大師匠に破門になったということになる。その後、馬桜の破門は解かれた。2006年に馬桜門下から大師匠の馬風の直門に移ったため、以降は元師匠の馬桜との関係は兄弟子に変わった。
三代目橘家文蔵、入船亭扇辰と音楽ユニット「三K辰文舎(さんけーしんぶんしゃ)」を結成、小せんはギター・ボーカルを担当。落語会や落語協会のイベントなどで演奏を披露している。ユニット名は、三人とも本名の名字のイニシャルがK(河野・込山・川越)で始まることと、入船亭扇「辰」、橘家「文」左衛門(当時)、鈴々「舎」わか馬(当時)の1字ずつを取って命名した。
演目
古典
新作
出演・ソフト
CD
- 親子できこう 子ども落語集 めぐろのさんま・牛ほめ(日本コロムビア、2012年1月)COCJ-37186-7 - 「牛ほめ」収録
 
ラジオ
- グレープのもう魔酔わない!(TOKAI RADIO、2025年7月7日・14日)- ゲスト(柳家一琴と)
 
出囃子
- スーダラ節(1997年 - 2010年)
 - せり(2010年 - )
 
弟子
二ツ目
- 柳家あお馬
 - 柳家わか馬
 
前座
- 柳家小じか
 
脚注
出典
- ^ “柳家 小せん(やなぎや こせん)”. 一般社団法人落語協会. 2024年2月12日閲覧。
 
外部リンク
- 柳家小せん (5代目) - 落語協会
 - 柳家小せん (@kosen5) - X
 - 柳家小せん ゆるりと落語 - YouTubeチャンネル
 - 柳家小せん (kosen.yanagiya) - Facebook
 - こせんブログ 柳家小せん - ブログ
 - 歌彦・わか馬のWeb演芸場 - ウェイバックマシン(2015年6月6日アーカイブ分) - 三遊亭歌彦(四代目三遊亭歌奴)との共有ページ
 
- 柳家小せん_(5代目)のページへのリンク