柳亭芝楽 (10代目)とは? わかりやすく解説

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柳亭芝楽 (10代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 04:11 UTC 版)

十代目 柳亭 りゅうてい 芝楽 しばらく
本名 茨木 いばらき 勢三 せいぞう
別名 西川可女蔵
生年月日 1933年5月10日
没年月日 (1995-01-17) 1995年1月17日(61歳没)
出身地 日本北海道小樽市
死没地 日本東京都葛飾区
師匠 三代目春風亭柳好
六代目春風亭柳橋
名跡 1. 春風亭小柳好
(1946年 - 1949年)
2. 春風亭好燕
(1949年 - 1951年)
3. 春風亭小柳
(1951年 - 1967年)
4. 十代目柳亭芝楽
(1967年 - 1995年)
出囃子 海上はるかに
活動期間 1946年 - 1995年
配偶者 あり
所属 日本芸術協会
落語芸術協会
受賞歴
1985年文化庁芸術祭賞受賞

十代目 柳亭 芝楽(りゅうてい しばらく、1933年5月10日 - 1995年1月17日[1])は、落語家。本名:茨木 勢三[1]出囃子∶『海上遥かに』。

経歴

小樽出身で埼玉県浦和市(現さいたま市)育ち。6歳のとき麻疹による高熱で吃音となる。吃りの克服のため杵屋勝長次の元で長唄を習う。また、勝長次の知人である三代目春風亭柳好に内弟子として入門する。中学二年のとき「柳好納涼落語会」で初高座。演目は「雑俳」。

開成中学校を卒業した後の1946年10月に三代目春風亭柳好に正式に入門し、小柳好の名をもらう。1949年に名を好燕と改め、日本芸術協会(現:落語芸術協会)入り。1951年10月、二ツ目で春風亭小柳となる。1956年、師匠・柳好の死去に伴い、六代目春風亭柳橋門下へ移る。1967年4月、真打となり十代目柳亭芝楽を襲名[1]

1985年文化庁芸術祭賞受賞。1995年1月17日午後7時27分、肺癌のため東京都葛飾区の病院で死去、62歳[1]。葬儀と告別式は足立区で行われ喪主は長男が務めた[1]

芸歴

人物

野ざらし』『がまの油』を得意とした。日本舞踊の名取「西川可女蔵」として、弟子を多く取った。また踊りでは操り人形振りや片足踊りなどの珍芸も得意とした。

音源も多数残されている。

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e 朝日新聞大阪版夕刊 1995年1月19日 13面。

参考文献




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