柳亭燕路_(6代目)とは? わかりやすく解説

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柳亭燕路 (6代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/28 05:14 UTC 版)

六代目 柳亭りゅうてい 燕路えんじ

柳家小團治時代(1959年6月6日)
本名 黒田くろだ 建之助けんのすけ
生年月日 1934年10月20日
没年月日 (1991-02-10) 1991年2月10日(56歳没)
出身地 日本東京都大田区
師匠 五代目柳家小さん
弟子 柳亭燕丸
柳亭燕福
名跡 1. 柳家小助
(1954年 - 1957年)
2. 五代目柳家小團治
(1957年 - 1968年)
3. 六代目柳亭燕路
(1968年 - 1991年)
出囃子 五郎時致のせり
活動期間 1954年 - 1991年
活動内容 古典落語
配偶者 せなけいこ
家族 長男 黒田龍之助言語学者
所属 落語協会

六代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ、1934年10月20日 - 1991年2月10日)は落語家、落語研究家。諸芸懇話会会員。出囃子は『五郎時致のせり』。本名:黒田 建之助

経歴

東京都大田区出身。

1954年(昭和29年)6月、五代目柳家小さんに入門し前座名は小助

1957年(昭和32年)3月に二ツ目で五代目柳家小団治となる。

1968年(昭和43年)9月、橘家文蔵と共に真打に昇進し六代目柳亭燕路を襲名。

晩年は、肝硬変を患っていたため、入退院を繰り返していたが、体調の様子を見ながら独演会を開いた。

1991年(平成3年)死去。墓所は府中市多磨霊園

芸歴

人物

落語家としての活躍だけでなく、落語研究家として、古典落語の普及に尽力し、子供でも落語に親しめるように古典落語をアレンジし、『こども寄席』や『落語家の歴史』の著書がある[注釈 1]。後に、『こども寄席』に収録した、古典落語の「子ほめ」が、国語教科書に読みもの教材として掲載された。新作ではニコライ・ゴーゴリの「外套」を落語化する。「竹取物語」を題材にした創作落語を発表した。

落語の文献の研究、史料の収集に力を注いだ。特に初代談洲楼燕枝の研究には没頭した。晩年「燕枝」の襲名も計画していた。

自他とも認める筆不精だったが、ワープロがまだ珍しかったころにワープロを購入してからは、独演会などの案内などは、自分で作成し、案内状や手紙を書く回数が増えていった。

家族

妻は、絵本作家せなけいこ。息子の比較言語学黒田龍之助の他に、妻と同じ絵本作家の娘・黒田かおるがいる。

著書

  • 『落語家の歴史』雄山閣歴史選書 1972
    • 『落語家の生活』雄山閣出版 生活史叢書 1988
  • 『子ども寄席』全12巻 二俣英五郎絵 こずえ 1975-77
    • 『子ども落語』全6冊 ポプラ社文庫 1981-82
    • 『子ども寄席』2巻 日本標準 2010 シリーズ本のチカラ

注釈

  1. ^ 同時代、落語の普及に努めた落語家に二代目桂小南がいる。

関連項目




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