柳亭燕路_(5代目)とは? わかりやすく解説

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柳亭燕路 (5代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/18 01:29 UTC 版)

5代目 柳亭 りゅうてい 燕路 えんじ
本名 竹田 新之助
生年月日 1885年12月28日
没年月日 (1950-06-25) 1950年6月25日(64歳没)
出身地 日本
師匠 2代目三遊亭圓遊
4代目春風亭柳枝
名跡 1. 三遊亭新遊
2. 三遊亭圓輔
3. 三遊亭若圓遊
4. 4代目春風亭柳條
5. 春風亭晴志
6. 4代目春風亭柳條(? - 1943年)
7. 5代目柳亭燕路(1943年 - 1950年)
活動期間 1911年[要出典] - 1950年
主な作品
抜け裏
備考
抜け裏の作者

5代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ、1885年明治18年)12月28日 - 1950年昭和25年)6月25日[1])は、明治から昭和にかけての落語家。本名・武田新之助[1][2]

経歴

はじめは竹本玉太夫という名の義太夫語りであった[1]

2代目三遊亭圓遊に入門して「新遊」を名乗る[1]。その後、三遊亭圓輔を経て三遊亭若圓遊となる[1]

1918年大正7年)、4代目春風亭柳枝の門下に移り、4代目春風亭柳條を名乗る[1]

一時期、春風亭晴志に改名[注釈 1]したが、その後再び柳條となる[1]

1943年5代目柳亭燕路を襲名した[1]

1950年 に死去。享年66(満64歳没)。

芸風・人物

新作落語の創作に長け、『抜け裏』や『長屋の算術』などを手がけた[1]。また『お見立て』や『代脈』を当時の世相に合わせて改作する(前者は遊女をカフェーの女性店員に、後者は駕籠人力車に置き換えた)こともおこない、6代目柳亭燕路は『古今東西落語家事典』の中で「今となってはまったくのアンバランスで妙な感じがするものの、改作当時は、まだそれらを納得することができる時代であったのかもしれない」と評している[1]

浪曲の台本も手がけ、浪曲師の歌と自分の台詞を組合わせたレコードも残している[1]

脚注

注釈

  1. ^ 「晴枝」は誤植。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 古今東西落語家事典 1989, pp. 195–196, 江戸・東京篇 九、昭和戦前の落語界(五代目柳亭燕路の項、執筆は6代目燕路).
  2. ^ 大西信行『正岡容 : このふしぎな人』文藝春秋、1977年、p76

参考文献




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