柳亭燕路 (5代目)
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5代目
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本名 | 竹田 新之助 |
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生年月日 | 1885年12月28日 |
没年月日 | 1950年6月25日(64歳没) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 2代目三遊亭圓遊 4代目春風亭柳枝 |
名跡 | 1. 三遊亭新遊 2. 三遊亭圓輔 3. 三遊亭若圓遊 4. 4代目春風亭柳條 5. 春風亭晴志 6. 4代目春風亭柳條(? - 1943年) 7. 5代目柳亭燕路(1943年 - 1950年) |
活動期間 | 1911年[要出典] - 1950年 |
主な作品 | |
抜け裏 | |
備考 | |
抜け裏の作者 | |
5代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ、1885年(明治18年)12月28日 - 1950年(昭和25年)6月25日[1])は、明治から昭和にかけての落語家。本名・武田新之助[1][2]。
経歴
2代目三遊亭圓遊に入門して「新遊」を名乗る[1]。その後、三遊亭圓輔を経て三遊亭若圓遊となる[1]。
1918年(大正7年)、4代目春風亭柳枝の門下に移り、4代目春風亭柳條を名乗る[1]。
一時期、春風亭晴志に改名[注釈 1]したが、その後再び柳條となる[1]。
芸風・人物
新作落語の創作に長け、『抜け裏』や『長屋の算術』などを手がけた[1]。また『お見立て』や『代脈』を当時の世相に合わせて改作する(前者は遊女をカフェーの女性店員に、後者は駕籠を人力車に置き換えた)こともおこない、6代目柳亭燕路は『古今東西落語家事典』の中で「今となってはまったくのアンバランスで妙な感じがするものの、改作当時は、まだそれらを納得することができる時代であったのかもしれない」と評している[1]。
浪曲の台本も手がけ、浪曲師の歌と自分の台詞を組合わせたレコードも残している[1]。
脚注
注釈
- ^ 「晴枝」は誤植。
出典
参考文献
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会 編『古今東西落語家事典』平凡社、1989年4月7日。ISBN 4-582-12612-X。
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