林正男_(海軍軍人)とは? わかりやすく解説

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林正男 (海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/05 10:17 UTC 版)

林正男

林 正男(はやし まさお、1880年明治13年)6月16日[1]1965年昭和40年)7月27日[1])は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍少将衆議院議員

経歴

名古屋市出身[2]。竹田英一の四男として生まれ、林清之助の養子となった[3]1904年(明治37年)に海軍機関学校を卒業し、海軍少将に至った[2]。その間、横須賀海軍航空隊教官、同機関長、霞ヶ浦海軍航空隊機関長・教官、海軍航空本部造兵監督官、艦政本部造兵監督官などを歴任した[2]

1929年(昭和4年)に予備役に編入されると、大同製鋼株式会社顧問、岡本工業株式会社顧問、高野精密機械工業株式会社顧問、名古屋螺子製作所顧問、中央発条製作所顧問、柴田鉄工所顧問、太洋製作所株式会社社長を務めた[2]

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。1945年3月11日、衆議院の院内交渉団体の護国同志会結成に参加。1946年(昭和21年)、公職追放となった[4]

栄典

脚注

  1. ^ a b 日本海軍将官辞典 2000.
  2. ^ a b c d 衆議院要覧 1942.
  3. ^ 人事興信録 1943.
  4. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。
  5. ^ 『官報』第6387号「叙任及辞令」1904年10月12日。
  6. ^ 『官報』第7028号「叙任及辞令」1906年12月1日。
  7. ^ 『官報』第7949号「叙任及辞令」1909年12月21日。
  8. ^ 『官報』第748号「叙任及辞令」1915年2月1日。
  9. ^ 『官報』第3423号「叙任及辞令」1924年1月23日。

参考文献

  • 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下巻』人事興信所、1943年。 
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。 



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