東方義勇兵
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「第709歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の記事における「東方義勇兵」の解説
師団は、東ヨーロッパの占領地から様々な国籍の兵士が所属していた。これらの兵士は、志願兵か召集された者達で、或いは、捕虜として過酷な環境に置かれるよりも、ドイツ軍側について戦うことを望んだ赤軍の捕虜達であった。 第739要塞擲弾兵連隊の2個大隊は、主にグルジア人で編成された部隊であった。さらに、他の2個大隊も、戦闘序列では、東方部隊として指定されていた。これらの大隊は、ドイツ人の将校と下士官によって率いられていた。 師団の司令官は、カール=ヴィルヘルム・フォン・シュリーベン中将で、第108装甲擲弾兵連隊、第4防護旅団、第208歩兵師団、第18装甲師団などの東部戦線の戦闘部隊を約2年半にわたって指揮した後、1943年12月に師団長に就任した。 師団の戦闘部隊や第739要塞擲弾兵連隊の第1大隊などが東部戦線に派遣され続けたので、師団の戦闘部隊の質が低下していた。師団の兵員の多くは戦闘経験がなかったが、第709歩兵師団は沿岸守備隊の中では唯一、防御のための訓練を受けていた。しかし、何ヶ月にもわたる沿岸防衛での継続的な労働作業のため、師団の戦闘訓練は大幅に遅れていた。
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