東回廊の出土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:39 UTC 版)
発掘調査の成果のうち特筆すべきは、昭和57年(1982年)、東回廊の建物そのものが出土したことである。土砂崩れにより倒壊、埋没した回廊の一部がそのまま土中に遺存していたもので、柱、連子窓などがそのままの形で出土した。腐朽しやすい木造建築の実物がこのような形で土中から検出されるのはきわめてまれなケースであり、日本建築史研究上、貴重な資料である。出土した部材は、肘木の笹繰(ささぐり)や舌(ぜつ)、木口斗、柱の胴張りなど白鳳建築の特徴を示す一方で、日本には中世に入ってきたと思われていた大仏様や禅宗様と共通する特徴も見られ、現存しない初期仏教建築は多様な様式があったと考えられるようになった。出土した回廊はポリエチレングリコールによる科学的保存処置を施し、うち3間分が復原された形で奈良文化財研究所の飛鳥資料館に展示されている。
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