東国の位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:08 UTC 版)
前述のように『古事記』『日本書紀』には「毛野」の名称自体の記載はない。代わりに毛野含め関東諸地域は「東国」の名で記載される。『常陸国風土記』には、足柄峠以東は「我姫(あづま)」とみなされたこと、その分割が孝徳天皇(第36代)の時代に行われたことが記載されている。この認識は『日本書紀』大化2年(646年)の東国国司に対する詔の内容や、毛野出身諸氏族に対する「東国六腹朝臣」の表現にも見られる。これらをもって、関東地方は古くは「東国」として1つのまとまりを持っており、律令国家形成の過程で8つに分割されたと指摘される。 また『古事記』では、「天語歌」の中で倭国を「天・東・夷」の3層構造と表現しており、東国は王権(天)とも化外(夷)とも異なる性格を持っていたとも指摘される。
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