村松祐次とは? わかりやすく解説

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村松祐次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 00:38 UTC 版)

村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 1974年3月6日)は、日本経済学者。専門は中国社会経済史一橋大学学長事務取扱等を歴任。日本学士院賞日経・経済図書文化賞特賞受賞。従三位勲二等瑞宝章

人物

東京府八王子市寺町出身。旧制府立二中(現東京都立立川高等学校)を経て、1933年東京商科大学(現一橋大学)を卒業。根岸佶門下。

1933年大学を卒業し近衛歩兵連隊入隊。1936年大日本帝国陸軍主計少尉、1938年同中尉、1939年東京商科大学助教授

1951年一橋大学経済学部教授、1954年東京大学文学部講師併任、1963年一橋大学経済学部長、1969年一橋大学学長事務取扱を歴任するも、1974年北里大学病院にて肝硬変のため死去。

中国経済史研究に大きな業績を残し、1962年「清末江南地主制の史料的研究」により一橋大学経済学博士の学位を取得。1971年に『近代江南の租棧』により日経・経済図書文化賞特賞受賞、1972年同書により日本学士院賞受賞。1974年正四位勲二等瑞宝章[1]従三位[2]

弟子にインド史学者の深沢宏元一橋大教授、中国史学者の中川学一橋大名誉教授、中井英基筑波大学名誉教授[3]など。日本製粉会長兼社長などを務めた澤田浩も村松ゼミナール出身[4]

親族

西洋経済史専攻の村松恒一郎一橋大学名誉教授は兄[5]

著書

  • 『中国経済の社会態制』東洋経済新報社, 1949.
  • 『海外における最近の中国研究の状況』アジア経済研究所, 1963
  • 『近代江南の租桟』近代中国研究委員会, 1970.
  • 『中国経済の社会態制』東洋経済新報社, 1975
  • 『義和団の研究』厳南堂書店, 1976.8

脚注

  1. ^ 官報昭和49年本紙第14177号 15頁
  2. ^ 官報昭和49年本紙第14178号 17頁
  3. ^ 「昭和43年度学位授与・単位修得論文」一橋研究
  4. ^ 「日本製粉会長 沢田浩氏 戦争体験から昭和史に関心」2016/5/1付日本経済新聞
  5. ^ 大学めぐり : 商業・経済を講ずる人々 図書 木全秀雄 著 同文館, 1955



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