村岡恒利とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 村岡恒利の意味・解説 

村岡恒利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 08:25 UTC 版)

村岡 恒利

村岡 恒利(むらおか つねとし、1865年9月7日慶応元年7月18日[1] - 1921年大正10年)12月)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。妻・ていは木子幸三郎の姉[1]

経歴

京都府出身。士族・村岡恒徳の四男[1]陸軍士官学校(旧7期)に入り、1885年(明治18年)6月、陸軍砲兵少尉任官。同期には宇都宮太郎島川文八郎大将柴勝三郎中将らがいる。1887年(明治20年)に陸士を卒業。

1904年(明治37年)2月、東京湾要塞砲兵連隊長に就任し、同年11月、砲兵大佐に昇進。1907年(明治40年)10月、重砲兵第1連隊長に異動。1908年(明治41年)12月、陸軍技術審査部審査官に就任。1910年(明治43年)11月、陸軍少将に進み大阪砲兵工廠提理となる。1915年(大正4年)2月、陸軍中将に進級。

1919年(大正8年)11月、陸軍技術本部長に就任。1920年(大正9年)8月、待命となり、同年12月、予備役に編入された。

栄典

位階
勲章

脚注

  1. ^ a b c 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、む15頁。
  2. ^ 『官報』第5587号「叙任及辞令」1902年2月21日。
  3. ^ 『官報』第780号「敍任及辞令」1915年3月11日。
  4. ^ 『官報』第2524号「叙任及辞令」1920年12月29日。
  5. ^ 『官報』第1190号「叙任及辞令」1916年7月19日。
  6. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  7. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「村岡恒利」の関連用語

村岡恒利のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



村岡恒利のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村岡恒利 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS