杉山重雄とは? わかりやすく解説

杉山重雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 05:56 UTC 版)

杉山 重雄
基本情報
国籍 日本
出身地 長野県小諸市
生年月日 (1949-07-09) 1949年7月9日(75歳)
身長
体重
177 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1971年 ドラフト1位
初出場 1972年
最終出場 1974年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

杉山 重雄(すぎやま しげお、1949年7月9日 - )は、長野県小諸市[1]出身の元プロ野球選手投手

来歴・人物

野沢北高校では1967年夏の甲子園長野県予選で準々決勝に進出するが、辰野高に敗退。この大会では屋代高との対戦で、完全試合を記録した。駒澤大学へ進学。東都大学野球リーグでは1968年春季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなかった。1年生からベンチ入りし、4年時の1971年にはエースとして春秋季リーグとも7勝をあげた[1]。秋季リーグでは日大に優勝を譲るが最優秀投手、ベストナインに選出される。リーグ通算31試合登板、15勝5敗。同じ年齢の左腕投手である亜大山本和行とは格好のライバルであり、リーグ戦で何度も投げ合っている。大学同期には二塁手吉田和幸らがいた。

1971年ドラフト会議ヤクルトアトムズから1位指名を受け入団[1]

1972年には22試合に登板。9月23日には広島との対戦で西井哲夫をリリーフし3回から登板、その後を無失点で抑え初勝利をあげる[2][3]。同年のジュニアオールスターにも選出された。

1974年オフに松井優典とのトレードで南海ホークスへ移籍[1]

1975年限りで引退した[1]

ヤクルト入団時は、コントロールをつけることが課題だった。最初から巨人にはいきたくなかったという。当時の弱小・ヤクルトを自分の力で上位に導きたいという反骨精神を持ってのプロ入りだった。左のオーバースローからスライダー、カーブ、シュート、胸元を突くストレートを武器とした。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1972 ヤクルト 22 4 0 0 0 1 2 -- -- .333 144 28.1 41 4 17 3 0 22 0 1 25 23 7.39 2.05
1973 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 15 2.2 5 1 1 0 0 4 0 0 3 1 3.00 2.25
1974 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 1 0.0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 ---- ----
通算:3年 26 4 0 0 0 1 2 0 -- .333 160 31.0 46 5 19 3 0 26 0 1 29 24 6.97 2.10

背番号

  • 12 (1972年 - 1974年)
  • 24 (1975年)

記録

脚注

  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、291ページ
  2. ^ この後10年間、ヤクルトのドラフト1位指名選手が1年目で勝利することはなかった
  3. ^ 【5月6日】1982年(昭57) 宮本賢治プロ1勝 ヤクルトドラ1 10年ぶりの1年目白星スポーツニッポン2011年5月6日

関連項目

外部リンク





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