朱印船渡航先とは? わかりやすく解説

朱印船渡航先

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:12 UTC 版)

朱印船」の記事における「朱印船渡航先」の解説

安南 当時ベトナム正統王朝黎朝擁立していたハノイ鄭氏政権である。東京トンキン)ともいう。 交趾 当時実質的に中部ベトナム領有していたフエ阮氏政権広南国)のこと。その主な交易港ホイアン會安)及びダナンであった占城 ベトナム人勢力によって、現在のベトナム南部一隅押し込められていたチャンパ王国である。 暹羅 タイアユタヤ王朝である。アユタヤには大きな日本人町形成され山田長政活躍するアユタヤからも交易船が長崎に来た。 柬埔寨 メコン河流域ウドン首府とするカンボジア王国である。 太泥 マレー半島中部東海岸マレー系パタニ王国である。当時女王支配し南シナ海交易要港であった呂宋 スペインの植民地ルソン島である。首府マニラ新大陸とのガレオン船貿易要港で、中国船の来航多かった高砂 当時ゼーランディア城拠点オランダ支配していた台湾である。台湾中国商船との出会いの場であったいずれも赤道以北限られていた。渡航先集計によると交趾73回)で最も多く暹羅55回)、呂宋54回)、安南47回)と続く。

※この「朱印船渡航先」の解説は、「朱印船」の解説の一部です。
「朱印船渡航先」を含む「朱印船」の記事については、「朱印船」の概要を参照ください。

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