朱元璋との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/30 16:56 UTC 版)
元朝の支配力低下や度重なる天災のため、中国南部地方は盗賊や暴徒が跋扈する地となっていた。長江中流域北岸で盗賊同然の行動をしていた朱元璋軍は、1356年、食糧を求めて長江を渡り、元朝が支配する太平(安徽省当塗県)を占領する。一方、康茂才は地元の民間水軍出身で、この時には元朝に味方して水寨元帥の地位をもらい、太平北東の大都市、集慶(江蘇省南京市)を守っていた。康茂才は、陳埜先と共に太平の奪還を試みるが、かえって朱元璋軍の徐達に撃退されてしまう。朱元璋軍は次いで采石(安徽省馬鞍山市雨山区)、集慶を攻撃し、占領する。康茂才は降伏して朱元璋の部下となった。朱元璋は集慶を応天府と改名し、拠点とした(後の明朝の首都もこの地となった)。
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