本願寺の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:49 UTC 版)
文明18年(1486年)、紀伊に下向。後の鷺森別院の基礎(了賢寺)ができる。同年、第四夫人宗如尼が死去。 長享2年(1488年)5月、加賀一向一揆が国人層と結びついて決起。同年6月9日、加賀の宗徒は守護富樫政親を高尾城において包囲し、自刃に追い込む。7月、蓮如は消息を送って一揆を諌めた。延徳元年(1489年)、75歳。寺務を5男の実如に譲り、実如が本願寺第9世となる。 明応2年(1493年)、真宗木辺派錦織寺の第7代慈賢の孫勝恵が伊勢国・伊賀国・大和国の40か所の門徒を引き連れて本願寺に合流した。 蓮如は山科南殿に隠居して「信證院」と号する。明応5年(1496年)9月、大坂石山の地に大坂御坊を建立し、居所とした(後の大坂本願寺(石山本願寺))。
※この「本願寺の発展」の解説は、「蓮如」の解説の一部です。
「本願寺の発展」を含む「蓮如」の記事については、「蓮如」の概要を参照ください。
- 本願寺の発展のページへのリンク