本多正貫とは? わかりやすく解説

本多正貫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/02 10:38 UTC 版)

 
本多正貫
時代 江戸時代前期
生誕 文禄2年(1593年
死没 寛文2年2月1日1672年2月29日
別名 源十郎(通称)
戒名 樹心院休山
墓所 京都府京都市東山区泉涌寺山内町の泉涌寺内法音院
官位 従五位下、豊前
幕府 江戸幕府 大番頭
氏族 長坂氏本多氏
父母 父:長坂重吉、母:本多正重の娘
養父:本多正重
正室:本多政澄の娘
正直、娘(戸田重種室)、正綱
テンプレートを表示

本多 正貫(ほんだ まさつら)は、江戸時代前期の大身旗本

生涯

文禄2年(1593年)、長坂重吉の長男として生まれる。下総舟戸藩主・本多正重の長男正氏秀次事件で自害し、次男の正包も早世していたため、生母が正重の娘だった正貫が正重の養子として迎えられ、元和3年(1617年)の正重の死去により家督を継いだ。しかし、幕府によって1万石の所領を8000石に削減されたため、正貫は旗本となった。なお、削減、減封は正重の遺言とも言われている。

寛永11年(1634年)に書院番頭に任じられ、寛永19年(1642年)には大番頭に任じられた。寛文4年(1664年)に嫡男の正直に家督を譲って隠居した。

寛文12年(1672年)2月1日に死去。享年80。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「本多正貫」の関連用語

本多正貫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



本多正貫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの本多正貫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS