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末木剛博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 14:41 UTC 版)

末木 剛博
人物情報
生誕 (1921-09-10) 1921年9月10日
日本山梨県甲府市
死没 2007年12月1日(2007-12-01)(86歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 末木文美士(仏教学研究者)、末木恭彦(中国哲学研究者)
学問
研究分野 哲学思想史
研究機関 東京大学東洋大学
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末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 2007年12月1日)は、日本の哲学者論理学者、比較思想研究者。東京大学教養学部名誉教授

戦後いち早く現代論理学(記号論理学)を研究した一人。東大の大学院では科学史科学哲学比較文化を教えた。中村元を助け比較思想学会の創立に関わり、同学会の理事を務めた。

経歴

1921年、山梨県甲府市生まれ。旧制甲府中学第一高等学校を経て、1945年東京帝国大学哲学科卒業。卒業後は東京帝国大学副手、電気通信大学助教授を経て、1954年より東京大学教養学部助教授となった。後に同大学教授に昇進。在職中には東京大学陵禪会の顧問を務め、学生と共に参禅していた。この陵禪会の繋がりで、野矢茂樹は末木を師の一人として仰ぐ様になる。1982年に年退官し、名誉教授となった。その後も東洋大学文学部教授を務めた。

受賞・栄典

1997年春、勲三等旭日中綬章受勲。

研究内容・業績

ヴィトゲンシュタインの基礎的研究で知られる。論理学・分析哲学・比較思想を専攻、東洋禅宗も視野に収め、退官後は大著『西田幾多郎』を刊行した。丈比呂の名で短歌も詠む。茶人でもあり、裏千家から宗博の茶名を貰っている。

家族・親族

著書

  • 『ウィトゲンシュタイン』有斐閣 1959
  • 『記号論理学 その成立史の研究』東京大学出版会 1962
  • 『論理学概論』東京大学出版会 1969
  • 『東洋の合理思想』講談社現代新書 1970(増補新版 法蔵館 2001/法藏館文庫 2021)
  • 『ウィトゲンシュタイン論理哲学論考の研究』1-2 公論社 1976-1977
  • 『西田幾多郎 その哲学体系』全4巻 春秋社 1983-1988
  • 末木丈比呂『飲露亭口占集』(日本全国歌人新書)近代文芸社 2003 (歌集)
  • 『日本思想考究 論理と構造』春秋社 2015

参考

  • 「末木剛博教授略歴・業績」白山哲学 1992-03



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