朝鮮の儒学者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 16:18 UTC 版)
朝鮮では中国と同様に、科挙があったために儒学者=政治家という点に特徴がある。日本の儒学者は、極端に表現すれば、徳川政権にとって、故事来歴などを調べる道具、いわば『百科事典』の代わり、政治を粉飾する「太鼓持ち」に過ぎなかった。この相違は現在の日韓の学者と政治の関係にも反映されている。例えば、ソウル大学などの教授が、大臣(長官)になるケースはしばしばみられるが、日本では学者が大臣になるケースは稀である。また、日本の儒学者の墓は、教科書に登場するような有名人物であっても、非常にみすぼらしいのに比べ、朝鮮の儒学者の墓は大きくて非常に立派である。江戸時代の「寛政の三博士」と呼ばれる儒学者一族の墓は大塚先儒墓所にあるが、少し前まで誰にも見向きもされず、「儒者捨て場」とさえいわれていた。
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