朝庭
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朝庭(ちょうてい)とは、古代日本の宮都において、「コ」の字に建てられた複数の朝堂殿舎に囲まれた長方形の広大な屋外空間。元日朝賀や天皇即位儀など朝儀のおりには文武百官や外国使などが立ち並び、大極殿上の高御座(たかみくら)に出御した天皇を拝謁する場であった。朝堂の中庭、大極殿からみて前庭にあたる。
- ^ a b c 黒須利夫 1995, pp. 118–119.
- ^ 全文は「八曰、群卿百寮 早朝晏退 公事靡監 終日難盡 是以 遲朝不逮于急 早退必事不盡」。官吏官僚は朝早く出仕し、おそく退出せよ、公務はおろそかにできず、終日ですべて終えることがむずかしい。したがって、おそく出仕したのでは緊急の用件に間にあわないし、早く退出したのでは必ず事を遂げることができない、の意。
- ^ 「開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」の一部。使者の答えは「倭王は天を兄とし、日を弟としており、天がまだ明けぬ未明に王宮に出、あぐらをかいて座って聴政し、日が昇ってくると、あとは弟にまかせるといって政治を委ねる」というものであった。
- ^ a b 岸俊男 1986, pp. 9–24.
- ^ a b c 吉村武彦 1991, pp. 198–200.
- ^ 吉田孝 1992, pp. 63–64.
- ^ 「視告朔」の場合でも読みは「こうさく」であり、慣例として「視」の字は読まない。
- ^ 下級官人の執務空間。午前中の朝堂院での朝政を終えた五位以上の官人も、午後には曹司で実務にあたった。
- ^ a b c d e f g 橋本義則 1986, pp. 120–130.
- ^ a b 吉村武彦 1991, pp. 119–120.
- ^ 熊谷公男 2001, pp. 231–232.
- ^ a b c d e 熊谷公男 2001, pp. 238–240.
- ^ 古市晃 2002, pp. 202–214(原出典は植本久 1996)
- ^ 朝堂の第一堂から第五堂までは外側の側柱筋をそろえて配置されたため、内裏に近い殿舎ほど朝庭の中心に向かってせり出していた。
- ^ a b c d 吉田孝 1992, pp. 73–76.
- ^ a b 熊谷公男 2001, pp. 273–276.
- ^ 熊谷公男 2001, pp. 273–276(原出典は早川庄八 1986)
- ^ 古市晃 2002, pp. 226–244(原出典は林部均 2001)
- ^ 古市晃 2002, pp. 226–244(原出典は岸俊男 1988)
- ^ 古市晃 2002, pp. 226–244(原出典は鬼頭清明 2000)
- ^ a b 古市晃 2002, pp. 226–244.
- ^ 古市晃 2002, pp. 226–244(原出典は東野治之 1996)
- ^ a b 熊谷公男 2001, pp. 288–294.
- ^ 蝦夷に関しては、持統2年(688年)12月条にも「蝦夷の男女213人を飛鳥寺の西の槻のもとに饗す。乃て冠位を授け、物を賜う」の記述がある。
- ^ 「エビノコ」の名は所在する字地名に由来する。
- ^ 渡辺晃宏 2001, pp. 30–33. これに関連して渡辺晃宏は、『万葉集』の「大君は神にし坐せば赤駒のはらばふ田ゐを都となしつ」(大伴御行)、「大君は神にし坐せば水鳥のすだく水沼を都となしつ」(作者不詳)の歌は、飛鳥浄御原宮のことではなく、新益京(藤原京)の造営を詠ったものとみてよい、と述べている。
- ^ 吉村武彦 1991, pp. 284–286.
- ^ a b c d 小澤毅 2002, pp. 235–257.
- ^ a b 渡辺晃宏 2001, pp. 33–36.
- ^ 古市晃, 2002 & 226-244.
- ^ この説に立つ研究者に福山敏男 (1984)、小澤毅 (1997)がいる。
- ^ 大極殿の成立を藤原宮とする説に立つ研究者に狩野久 (1990)、鬼頭清明 (2000)がいる。
- ^ 仁藤敦史 1998, pp. 251–258.
- ^ a b 渡辺晃宏 2001, pp. 100–103.
- ^ a b 吉田孝 1992, pp. 237–238.
- ^ a b 仁藤敦史 1998, pp. 297–301.
- ^ 仁藤敦史 1998, pp. 301–303.
- ^ 弥生(旧3月と神無月(旧10月)については、旬日(10日、20日、30日)の月3回、朝座に就くこととなっていた。
- ^ 公家の日記などを集成して編纂した13世紀成立の歴史書『百錬抄』の記述による。
- ^ 他には、672年の壬申の乱の際の小子部鉏鉤・朴井雄君の行動について記した記事に「朝廷」の意で「朝庭」の文字が使われている例などがある。
- ^ 渡辺晃宏 2001, pp. 306–308.
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