有村俊斎の訪問とは? わかりやすく解説

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有村俊斎の訪問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 16:00 UTC 版)

座田維貞」の記事における「有村俊斎の訪問」の解説

安政5年1858年9月西郷隆盛は噂に聞いた「座田卯兵衛丞」の人となりを探るため有村俊斎を自宅派遣した。俊斎は薩摩藩の僧と名乗り当時維貞が配布していた忠臣像の版画求め、維貞は和気清麻呂楠木正成画像取り出して忠義説いた。しかし、維貞は不意に「どうして私の住所わかったのか。」と質問し、俊斎が「(薩摩藩京都留守居伊集院太郎右衛門聞いた。」と答えると、維貞は「伊集院とは知り合いだが、私の住所知らないはずだ。今日午前転居してたばかりで、誰にも知らせていないのだが。」と怪しみ始めた。俊斎が慌てて去ろうとすると、維貞は「今晩はどこに泊まるのか。」と聞き、俊斎が「伊集院だ。」と答えると、維貞は家僕提灯持たせて同行させたが、俊斎は刀で脅して帰宅させ、本来の旅宿直に帰宅した翌朝、維貞が伊集院事件報告すると、伊集院西郷隆盛事情質したが、隆盛は「僧侶はいない。」と回答した二人彦根藩追われていたこともあり、直後に伊知正治北条右門と共に京都離れ大坂向かったという。 なお、維貞の屋敷新烏丸通下切通シ上ルにあったとされるが、どの時点のものか不明である。

※この「有村俊斎の訪問」の解説は、「座田維貞」の解説の一部です。
「有村俊斎の訪問」を含む「座田維貞」の記事については、「座田維貞」の概要を参照ください。

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