曽根城とは? わかりやすく解説

曽根城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 08:25 UTC 版)

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曽根城
岐阜県
城郭構造 平城
天守構造 不明
築城主 稲葉一鉄
築城年 永禄年間(1558年 - 1569年
主な城主 稲葉一鉄、稲葉貞通西尾光教
廃城年 慶長5年(1601年
遺構 石垣、土塁(発掘後保存埋蔵)
指定文化財 市指定史跡[1]
位置 北緯35度24分14.11秒 東経136度37分11.18秒 / 北緯35.4039194度 東経136.6197722度 / 35.4039194; 136.6197722座標: 北緯35度24分14.11秒 東経136度37分11.18秒 / 北緯35.4039194度 東経136.6197722度 / 35.4039194; 136.6197722
地図
曽根城
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曽根城(そねじょう)は、岐阜県大垣市にあった戦国時代日本の城。大垣市指定史跡

旧字を用いて曾根城とも表記される。春日局ゆかりの地である。

概要

後述の華渓寺所蔵の「濃州曽根古城跡図」によれば、本丸の東に二の丸があり、内堀と外堀、城下町を囲む惣堀を備え、家老屋敷、侍屋敷、町屋などが並んでいたとみられる[2]。本丸は1000坪、二の丸を含めると4,000ないし5,000坪の規模だったと推定されている[2]

歴史

春日局との関係

所在地

  • 岐阜県大垣市曽根町1丁目

現在

  • 本丸址には現在華渓寺という寺院がある。この寺は、稲葉一鉄が母親の菩提寺として建立した寺で、1734年享保19年)にこの地に移転した[2]
  • 1989年の発掘調査の結果、華渓寺の北側より石垣や土塁などが発見されている。これらは保存のため埋め戻され、地上に復元されている[3]
  • 当地出身の江戸時代漢詩人梁川星巌とその妻である紅蘭を記念した、梁川星巌記念館がある。
  • 東側の平野井川堤防には明治22年決壊之地の碑がある。公園内の池は碑に記された決壊の前の決壊の時に形成されたもので、押堀(おっぽり)という名称である。

曽根城公園

  • 一帯は曽根城公園として整備されている[4]。約20,000m2の敷地に約4,000m2の池(湿地)があり、約80種、約1万6千株のハナショウブがある。
  • 毎年6月上旬、曽根城花しょうぶ祭が開催される。
  • 天然記念物ハリヨの生息地である。

画像

交通機関

脚注

  1. ^ 指定文化財一覧表” (PDF). 大垣市. 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月18日閲覧。
  2. ^ a b c 日本城郭大系』 9巻、新人物往来社、1979年、418頁。 
  3. ^ 大垣市・大垣市教育委員会による現地説明板による。
  4. ^ 曽根城公園”. 大垣市. 2012年9月18日閲覧。

関連項目


曾根城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/06 05:27 UTC 版)

曾根城
三重県
別名 曽根城、宇杉城、浄の城、つつじ城
城郭構造 山城
築城主 曽根弾正
築城年 弘治年間(1555年 - 1558年
遺構 曲輪石垣
指定文化財 市指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯33度57分40.3秒 東経136度11分39.5秒 / 北緯33.961194度 東経136.194306度 / 33.961194; 136.194306座標: 北緯33度57分40.3秒 東経136度11分39.5秒 / 北緯33.961194度 東経136.194306度 / 33.961194; 136.194306
地図
曾根城
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曾根城(そねじょう)は志摩国英虞郡[1](のち紀伊国牟婁郡)南輪内曽根(現在の三重県尾鷲市曽根町)に存在した日本の城山城)である。曽根城とも表記される。別名「つつじ城」など。

概要

標高180メートル、比高178メートルの山頂に建てられた[2]。東西130メートル、南北30メートルの、10の郭があり、2箇所の掘割によって防御されていて、本丸は露出した巨岩を石垣の代用としている[2]尾鷲市の市指定史跡に指定されている[3]

歴史

弘治年間(1555年 - 1558年)に近江国甲賀の佐々木宇右衛門(一般には曽根に来て名乗ったとみられる曽根弾正と呼ばれる)が、曽根村落内に構えた居館の裏山に築城した[2]

遺構・復元建造物

  • 城曲輪、堀
  • 物見岩 - 石垣が残る。
  • 井戸跡 - 風雨にさらされないよう入口を塞ぎ、その上に巨石が置かれた。

周辺施設

  • 城山公園 - 「オンツツジ 名吉花(カオヨバナ)の群生・ 城山公園」の看板あり。

アクセス

所在地

交通

脚注

  1. ^ 築城当時(弘治年間)、現在の尾鷲市一帯は志摩国に属す。桃山時代に、志摩国の東端を除く大半を、紀伊新宮城主の堀内氏善と伊勢松ヶ島城主の織田信雄が荷坂峠を境として、それぞれが紀伊国牟婁郡と伊勢国度会郡に編入した。
  2. ^ a b c 日本城郭大系』 10巻、新人物往来社、1980年、182 -183頁。 
  3. ^ 尾鷲市の文化財”. 尾鷲市. 2012年9月18日閲覧。

関連項目

外部リンク





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