中村山城_(紀伊国)とは? わかりやすく解説

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中村山城 (紀伊国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 02:58 UTC 版)

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中村山城
三重県
天狗倉山から望む中村山城跡(中村山公園)
別名 中村山砦、中村山
城郭構造 平山城
築城主 仲新八郎
築城年 戦国時代
主な城主 仲氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、碑
指定文化財 なし
再建造物 なし
位置 北緯34度4分19.6秒 東経136度11分33.5秒 / 北緯34.072111度 東経136.192639度 / 34.072111; 136.192639
地図
中村山城
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中村山城(なかむらやまじょう)は、紀伊国牟婁郡(現在の三重県尾鷲市)にあった日本の城平山城)。尾鷲市中心部に位置する標高約50m、比高差約40mの中村山丘陵全体に築かれた平山城。この地域一帯を治めていた仲氏の本拠の城である。

歴史・沿革

戦国時代

戦国時代に仲新八郎が築城した。仲新八郎は伊勢国司北畠氏の一族の末裔とも甲斐武田氏浪人の子孫とも諸説あるが詳細は不明。

天正10年(1582年堀内氏善紀伊国北部に侵攻し、その際尾鷲にも攻め寄せた。城の守備に従事したのは仲新八郎を中心とした世古氏・北村氏・荘司氏・田所別当氏・林氏の6人衆で、この城を拠点に現在の尾鷲市内にある山ノ神砦関山砦に布陣した。中村山城に篭城をして奮戦したが、ついに支えきれず荘司氏が堀内氏善と和を講じて降伏した。

現在

現在は城跡全体が中村山公園として整備されており、当時の名残はほとんど残っていない。

なお、中村山公園は桜の名所としても知られている。本丸跡地に招魂祭相撲大会の際に使用される土俵があり、二の丸跡には尾鷲市立天文科学館が置かれている。唯一、櫓台には中村山城が存在したことを示す碑が建てられているが、長年の風化の影響でほとんど何が書かれているのか読めない状態となっている。

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所在地

三重県尾鷲市中村町字中村山

交通アクセス

脚注

関連項目

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