書と作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 13:33 UTC 版)
明治から大正は書家と学者と文人の区別がつきにくい時代で、この時代の第一流の書家といわれた人は学者でもあり詩人でもあった。芸術家というよりはむしろ学のあることが要求され、自らもまたそのように心がけた。つまり、現在の専門的な学者と職業的な書家の中間的な存在で、文人書家と呼ばれた。しかし、詠士は純粋な学者でも詩人でもなく、教育家として独特な地位を有する人で、文人書家の特例的な存在であった。詠士は中国に知人が多く、中国問題については強い信念と理想とをもっていたため、民間における興亜運動の一勢力をなしていた。よって、その書もそのような門下に貴ばれ、一般には親しまれていなかった。 詠士は『九成宮醴泉銘』と『張猛龍碑』を最もよく臨書し、『高貞碑』、顔真卿なども学んだ。その書風は張裕釗直伝の書に、米芾などの筆法を取り入れた特異なもので、切れ味の鋭い筆画、狭い懐、短い横画、左右への長い払いなどを特徴とする。筆にたっぷりと墨を含ませて書き、墨のにじんた部分が一種独特の風情を示している。
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