暗黒の期間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 20:46 UTC 版)
1981年12月3日、ヴェロニクと離婚した。この頃寄稿していた風刺新聞『アラキリ』の特集号で、彼自身が後に親友パトリック・ドヴェールに贈ることになった.22ロングライフル弾 (*要検証) を持った写真を載せた。この時期彼はグアドループに住み、大好きな靴作りに熱中していたが、ドヴェールの妻エルサ(エリザベート・マルヴィナ・シャリエ)を島に呼んだ。彼女はドヴェールと別れ、コリューシュと一緒に暮らすようになった。1982年7月16日、ドヴェールはエルサと娘ローラを失ったことに深く心を痛め、コリューシュから贈られた銃で頭を撃ち抜いて自殺した。 同じ頃、ベルトラン・ブリエ監督が映画『fr:La Femme de mon pote (友達の女)』にコリューシュがドヴェール、ミウ=ミウとともに出演することになっていたが、映画の脚本はこの3人の実際の関係を題材にしていたため、ドヴェールの自殺後、ミウ=ミウは辛すぎるからと役を降り、ドヴェールの代わりにティエリー・レルミット、ミウ=ミウの代わりにイザベル・ユペールが出演することになった。コリューシュはこの映画で役柄を多少変えている。これは後の代表作『チャオ・パンタン』へと繋がっていく。 こうした経緯から、コリューシュはうつ症状に陥り、次第に酒と薬物に溺れていった。しかも立ち直れないままに、もう一人の友人である漫画家のジャン=マルク・レゼールが亡くなった。
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