暗夜の蛍光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 14:29 UTC 版)
1945年、台湾の行政権が中華民国に接収されると、日本の大蔵省に所属していた朱昭陽と弁護士の宋進英が台湾に帰国し、炭鉱業界の有力者と共に延平大学の設立計画を立案し、林献堂に理事長への就任を依頼した。学名は延平郡王鄭成功に因み林献堂が「延平大学」と命名した。1945年9月に生徒募集を開始したが、設置学科不足により大学として認可されず、「延平学院」の名称で、経済・法律及び夜間部での開始となった。同年双十節の夜に私立開南商工学校の運動場を利用しての開校式典が実施され、1,100余名の学生を前に朱昭陽は社会混乱の台湾に一条の光明を提供するものであり、暗夜の荒野の蛍光であると訓示し、台湾人により初めて設立された高等教育機関が誕生したのであった。
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