昭和恐慌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 03:04 UTC 版)
田中秀臣の主張では1927年、田中義一内閣がモラトリアム令を配布し、各民間銀行に日本銀行が巨額の救済融資を行い、取り付け騒ぎを鎮めたが、再三の日銀特融による日本銀行券の増発によって、不況の中のインフレの発生(スタグフレーション)に陥ったとしている。一方、中野剛志によれば、当時の大蔵大臣である高橋是清はケインズを先取りしたケインズ主義的政策を断行した。1936年までに国民所得は60%増加し、完全雇用も達成したとも主張している。
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