明治時代の義塾の一覧
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明治時代の義塾の一覧(めいじじだいのぎじゅくのいちらん)では、明治時代の日本で「義塾」を称した教育機関(主に私塾・私立学校)について述べる。
注釈
- ^ 明治以前創立が判明している私塾は、文会義塾・攻玉義塾・時習義塾(東京・港)、白山義塾(東京・文京)、成性義塾(東京・台東)、汎愛義塾(山梨)で、創立年不詳ながら明治以前と推定される私塾は、高矣義塾(東京・港区)、蓋簪義塾・憲良義塾(愛知)、静修義塾(新潟)、蜚英義塾(長崎)であるという(805頁の解説及び一覧表参照)。但し、高井鴻山が開いた港区の「高矣義塾」は明治8年設立、同10年閉校とされる(信濃史談会編『信濃之人』求光閣書店、1914年、138頁)。
- ^ 各府県統計書及び学事年報に記載された創立・開校年は、公式上、私立各種学校としての届出・認可年が記されたケースもあり、その場合、実際の創立はそれ以前に遡る。
出典
- ^ a b 『慶応義塾百年史 上巻』245頁。
- ^ 『慶応義塾百年史 上巻』244頁。正しくは「白山義学」か。渋江抽斎・森立之『經籍訪古志』安政3年(国書刊行会編刊『解題叢書』1916年所収、10頁)及び村尾元長『近藤守重事蹟考』1893年、2頁を参照。中国語では義学と義塾は同義。
- ^ 幕末・維新学校研究会『幕末維新期における学校の組織化に関する総合研究1』1990年所収の名倉英三郎論文参照。
- ^ 『慶應義塾豆百科』 No.8 「義塾」という名のおこり
- ^ 『慶応義塾百年史 上巻』246-254頁、及び『同 下巻』805-813頁。その他、明治期の各府県統計書及び学事年報、各府県・市町村編纂の教育史書を参照。
- ^ 「[ステンドグラス] 各地の義塾」『塾』第213号、慶應義塾、1998年7月、2015年3月11日閲覧。
- 1 明治時代の義塾の一覧とは
- 2 明治時代の義塾の一覧の概要
- 3 参考文献
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