旭川操車場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 15:37 UTC 版)
1898年(明治31年)の旭川駅開業から1986年(昭和61年)の貨物取扱廃止まで旭川機関区および現在のDCMホーマック宮前店付近に貨物取扱専用の操車場が広がっており、主に有蓋貨車・タンク車等による貨物輸送が行われていた。主な取扱に関しては、旭川に向けて石炭等の輸送や周辺地域で栽培されていた農産物等であり、1968年(昭和43年)10月の宗谷本線北旭川駅開業までの間は道北最大の貨物取扱量となっていた。貨物輸送が北旭川駅へシフトし、操車場付近が後の住宅地開発に使用されることになったため[独自研究?]、廃止となった。 電化開業後は、札幌貨物ターミナル - 岩見沢 - 旭川間の貨物列車は電気機関車によって牽引されるようになり、隣接する旭川機関区から操車場にかけて架線が張られていた。 1998年(平成10年)の旭川運転所の一般公開の際は、来場者の送迎のために旭川駅から同所まで列車によるピストン輸送を行い、整理券のみで実質無料乗車できた。1999年(平成11年)から2002年(平成14年)の大晦日から元日にかけて、上川神社への初詣客のために当時隣接していた旭川運転所に仮乗降場「北彩都あさひかわ駅」を設置し、旭川駅からピストン輸送を行った。旭川駅構内の扱いとされ、入場料金で乗車できた。
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