旭川油田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:50 UTC 版)
南秋田郡旭川村濁川(現在の秋田市濁川)では、千蒲善五郎が1876年(明治9年)から1897年(明治30年)にかけて採掘を行った油田のうちの一つがあり、1902年(明治35年)の秋田油田調査会による綱掘りを経て、1908年(明治41年)に日本石油(現在のENEOS)が秋田に進出して本格的な開発を行った。1929年(昭和4年)に最盛期を迎え、年産18,600キロリットルに達した。1938年(昭和13年)以降は新たな油井の開削は行わず採油のみとなり、1978年(昭和53年)時点では年産1,216キロリットルにまで衰退した。
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