旧称・親不孝通り時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 17:04 UTC 版)
1970 - 1980年代当初は予備校生を含めた若者を対象とした喫茶店やゲームセンター、小さなロック喫茶や輸入レコード店「ジュークレコード」が出店。この時期に「てっしー村」と呼ばれる地場の飲食チェーン店舗が親不孝通りに次々と店を構え、その系列店であるライブハウス「80's FACTORY」が1979年にオープン。さらには若者向けの居酒屋やバー、カラオケボックスなども集中して立ち並ぶようになり、1980年代は中洲が“サラリーマンの夜の街”ならば親不孝通りは“若者の夜の街”へと変貌していった。 バブル期には九州最大級のディスコマリアクラブが開店。同時期にストリートミュージシャンの聖地にもなり若者の街として全国に知られるようになった。一方、親不孝通りの名前の由来となった2つの予備校は、少子化と、その後相次いで福岡に進出した大手全国区予備校(河合塾、代々木ゼミナール、駿台予備学校など)の影響を受けて閉校または予備校としての営業を終了している。
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