日雇労働者運動に参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 02:06 UTC 版)
やがて、美濃加茂市で土方仕事をしながら新左翼運動を模索している加藤三郎に出会い、同じ思想を持っていたことから意気投合し、3ヶ月間同居することになった。その後、己の意識を変革すべく、名古屋市のドヤ街である笹島に向かい、ついで大阪市の釜ヶ崎(あいりん地区)に行った。 大森はここで、この年(1972年)に結成されたばかりの釜ヶ崎共闘会議を知り、日雇労働者の鬼気迫る越年闘争に圧倒された。そして単身北海道に渡り、アイヌ民族の現状について把握した。 その後大森は一旦故郷の岐阜県に戻り、活動資金捻出のために様々な職場で働いた。1974年6月、資金が貯まったので北海道の苫小牧市に行き、翌年1975年6月には札幌市に居を移した。
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