日本開国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 15:28 UTC 版)
「ポーハタン (蒸気フリゲート)」の記事における「日本開国」の解説
続いてポーハタンは東インド艦隊に配属され、1853年6月15日には中国水域の任地に到着した。そこでポーハタンはペリー代将の日本再訪艦隊に加わり、日本へ向かうこととなる。1854年2月13日にペリーは旗艦サスケハナ (USS Susquehanna) 、ミシシッピ (USS Mississippi) など7隻の軍艦を率いて江戸湾(東京湾)へ入港。江戸湾到着後に旗艦はポーハタンに移された。3月31日(嘉永7年3月3日)には日米和親条約が調印された。その後条約の細則の交渉のため艦隊は伊豆下田に移動するが、下田停泊中、ポーハタンに吉田松陰が密航を訴える事件があった。
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