日本共産党台湾支部時代
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1925年ごろに上海に渡った謝雪紅は五三〇運動に参加、謝飛英の偽名で上海大学社会学科に4カ月在籍した後、黄中美の紹介で中国共産党に入党、同年10月には林木順(中国語版)とともにモスクワ東方大学に留学している。 1927年11月に上海に戻った謝雪紅は、翌年4月に上海で結党された台湾共産党(日本共産党台湾民族支部)に参加、東京において日本共産党との連絡に当たった。台湾共産党が台湾共和国を建国し日本の帝国主義を打倒することを大綱に明記したのは、謝雪紅の農民及び労働者を植民地政府や資本家からの搾取から保護するという社会主義思想と合致していたが、反体制的なその言動が災いして治安維持法違反で逮捕、10年以上拘束されることとなった。
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