日本人の参拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 15:04 UTC 版)
「日本占領時期死難人民記念碑」の記事における「日本人の参拝」の解説
1967年10月、血債問題が解決をみた直後に佐藤栄作首相がシンガポールを訪問したが、慰霊塔は訪問しなかった。 1976年2月15日の追悼式には、高橋・シンガポール日本人会会長と林・日本商工会議所会頭が参列、供花した。 1994年8月28日に、村山富市首相が日本の首相として初めて慰霊塔を訪れ、献花した。 2017年2月15日の75周年の追悼式では、日本大使の篠田研次が初めて、追悼式に日本国代表として公式参加し、慰霊塔に献花、「深い悲しみと哀悼の意」を「日本人の圧倒的多数とともに共有」と慰霊の言葉を述べ、現地でも広く報道された。当日は、現地のシンガポール日本人学校の代表として、現地在住日本人の子弟である生徒2名が、慰霊のために折った折鶴を持参して追悼した。
※この「日本人の参拝」の解説は、「日本占領時期死難人民記念碑」の解説の一部です。
「日本人の参拝」を含む「日本占領時期死難人民記念碑」の記事については、「日本占領時期死難人民記念碑」の概要を参照ください。
- 日本人の参拝のページへのリンク