日本の囲碁棋士との対戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 09:38 UTC 版)
「屋良里之子」の記事における「日本の囲碁棋士との対戦」の解説
康熙48年8月、屋良里之子は琉球使節に任命され、江戸幕府で徳川家宣が征夷大将軍に襲職する慶賀のため日本の江戸に派遣された。屋良里之子は美里王子朝禎(唐名は尚紀)を長とする慶賀使の随員として、11月11日に江戸に到着した。12月1日、屋良里之子は当時七段の本因坊道知と対局した。本因坊道知は外国棋士との対局では向三子とする慣例であり、屋良里之子は三子を置いて対局した。結果は第一局、第二局とも屋良里之子の中押し負けであった。両局はそれぞれ「道知授屋良里之子三子局」、「十厄勢」として知られている。 (「道知授屋良里之子三子局」白中押し勝ち194手まで、手順略) 本因坊道知との対局はこれで終了。また屋良里之子は当時13歳の相原可碩三段とも対局し、結果は可碩の2目勝ちであった。本因坊道知は屋良里之子への三段免状発行の推薦と、伝法の書を1冊贈った。
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