方法論としての現象学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:10 UTC 版)
存在論の歴史を解体するという課題に関してハイデッガーがとったのは、現象学的な方法である(序論第2章第7節)。本節で彼は現象とロゴスの概念のギリシア語の原義に遡って考察を進め、現象概念には、通俗的な《現象》概念とは区別される現象学的な「現象」概念がある。現象学的な「現象」概念は、おのれを示すものそれ自身が自ら現れ出でるという意味と、おのれを示すものがそれ自身ではなくかりそめのものとして現れる「仮象」という意味の、二重の意味があるとする。そして、現象学を己を示すものをそれ自身が自ら現れ出でるようにさせること、つまり、「事象そのものへ」至るための方法論であって、存在一般を把握することは現象学によってのみ可能であると主張する。 また、「現象」がかりそめのものとして現れることにも重要な意味がある。存在の意味は日常的には、隠蔽されている。それが故意であるか、偶然であるかを問わず、存在は隠蔽された「本来的」(eigentlich)でない在り方を示すことがある。それが古代ギリシアの発せられた存在の問いが忘却されたゆえんでもある。存在の意味を現象学的に記述するという方法の意味は、「解意」するということであり、したがって、現存在の現象学は解釈学でもある。彼によれば、哲学は、普遍的な現象学的な存在論であり、解釈学なのである。これが、『存在と時間』におけるハイデッガーの手法がしばしば解釈学的現象学と呼ばれるゆえんである。
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