新貨条例制定と造幣寮の設置
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「高輪談判」の記事における「新貨条例制定と造幣寮の設置」の解説
その一方で大隈は近代的な貨幣制度を実施する計画を進めた。造幣施設の建設計画は由利公正が会計官副知事の時代より進めていたが、大隈が大蔵省設置とともに造幣寮を置いて井上馨を造幣頭に任命(明治2年8月18日)して以後本格化し、大阪に造幣工場の建設が進められた。 途中、火災による遅延があったものの、明治3年9月に工場は完成し、明治4年2月15日より仮稼動を開始した(4月4日本格稼動)。続いて5月10日(1871年6月17日)には円を基本単位とし、補助単位として「銭」「厘」を導入して、1円=100銭、1銭=10厘とする新貨条例が公布され、日本は近代的な貨幣制度への第一歩を踏み出すことになった。
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