新庄藩士 八柳氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/08/22 11:51 UTC 版)
前項の一族 八柳右馬之助は八柳氏が安東氏に対抗していた時代から同盟関係にあった角館城主 戸沢盛安の家臣となり、戸沢氏が新庄藩主に封ぜられるに及び、代々、新庄藩士となった。 また、戸沢氏の家臣としては、八柳盛繁の名も見え、慶長3年(1598年)、伏見城普請に際して材木を安東氏から受領する際、受取証書を発行の署名に盛繁の名前が見受けられる。 なお、八柳氏は旧国人領主の家柄ということもあり、家格は比較的高く中老格 八柳極人・八柳馬之丞親子らを輩出すなど家門は栄えた。 また、一門には新庄藩士 安島氏より養子に入った八柳壽三などがいる。
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