新島襄・同志社
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龍治郎の父、土倉庄三郎は明治期の林業家で、自由民権運動のパトロンと言われ、板垣退助他の人々を支援したり、新島襄・成瀬仁蔵の教育理念に賛同し、同志社大学・日本女子大学の設立に物心両面からの協力を惜しまなかったなど、幅広い分野に強い影響を与えた。龍治郎は、他の姉弟妹と共に同志社に学んだ。庄三郎の子供達は創立者新島の薫陶を受けつつ、皆、新島夫妻(襄の妻は新島八重)から可愛がられた。 新島は父・庄三郎へ厚く信頼を寄せていた。又、龍治郎を高く評価していた。庄三郎に対し「・・・龍治郎君は遠からずして東京大学予備門にご加入は相叶い申すべく・・・」との書簡を送るが、龍治郎は父への長文の請願書を認め、国外雄飛の夢を実現すべく台湾に赴いた。 龍治郎の性格を津下紋太郎(学友で土倉家の台湾事業部総支配人、のち日本製鉄・日本石油専務)は、「温厚篤実の君子人の風格を有しており、生来創業の事に趣味と才能を持ち、柔道はほとんど天才的で、剛胆さもかなりのものであった」と評している。気宇壮大さと優しさを兼ね備えた人柄であったようである。
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