文化住宅地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:15 UTC 版)
現在の東町一丁目および三丁目の町域(町名整理前の大字下保谷字北新田)は、関東大震災(1923年)以前よりこの地の有力地主高橋家と武蔵野鉄道(現西武鉄道)によって住宅地としての開発が進められた。この際、高橋家は住宅地に良い住民、文化人を多く住まわせたいと考え、大学の教員や画家などの文化人や企業の幹部などを多く迎え入れた。中にはフランク・ロイド・ライト設計の住宅や、住民の憩いの場としてテニスコートなどもあった。このため、この地は「文化住宅地」と言われるようになったという。 その名残か、現在でもこの地域には敷地100坪以上の住宅や、生垣や庭木などの緑を多く持つ住宅が多い。
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